TriGRAPH #3時間⇄浸食 
片岡 俊「吸水」/カワトウ「Scat of Muhammmad」

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片岡 俊「吸水」

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本展「吸水」は、群馬県の山中にある村で滞在し、撮影した作品である。片岡は前作「Life Works」で「KAWABA NEW-NATURE PHOTO AWARD 2014」のグランプリを受賞し、その賞の副賞として「自然」をテーマに滞在制作をする機会を得る。滞在制作では、コンペティションでその村を訪れた際に感じた、夜に現れる深い「闇」と「自然」をテーマに、会場では昼夜問わず撮影された作品が並ぶ。
 
滞在制作期間中に近隣の県の川が大氾濫するほどの豪雨という自然災害にみまわれ、滞在制作先でも大雨を記録したという。限られた1週間という短い時間の中で、そのほとんどが雨が降るなか撮影された作品は、まだ雨が降りそうな雲や、水で濡れた道、川など、どれも水を感じさせる作品が多く展示される。ほとんどがオーソドックスにマットに黒のフレームの展示方法の中、特に印象的だった大きく引き伸ばしプリントされた作品は、この1点だけ床から少し高くしたところに寝かされ展示されている。そのイメージは、草むらに突如現れた大きな穴に水が溜まったものである。これは、植林をするために掘った穴に水が溜まったもので、普段の雨ではこうもならないだろうが、豪雨という自然災害によりできあがったものであろう。大きくプリントされ、実際に地面を覗き込むような展示方法にしている他、別のところでも同様の現象が起こっているところを撮影され、小さなプリントで3点展示されている。本展のタイトル「吸水」を指すこの作品は、片岡にとって印象的だった光景を撮影したことであると読み解くことができる。これらのことから、自然をテーマに制作されたと言うのだが、「水」が主として展開されているように思う。それだけ、滞在中の1週間の記録的豪雨というのは撮影にも思考にも影響したのだろう。
 
自然という言葉を考えてみたとき、山などの人為/人工物のない環境や、火山活動や雷などの現象に加えもっと広い意味での宇宙の万物など、とても幅広い意味を含んでいることに再度気づかされる。もちろんのこと、我々ヒトも自然の一部である。このようなことを思いながら自然も対象に撮影されている鈴木理策の作品を思いだした。彼の作品のようなダイナミックで繊細なイメージの強さがなければ、直接的にいわゆる我々が思う共通認識としての「自然」のみを感じることは難しいように思う。一方、片岡の作品を見てみると、手に取られた大きな石や、人の手により育てあげられた果物、人工物のある風景や植林用の穴も、人間社会(=生活圏内)から見た自然として撮影し展示されていることがわかる。人が自然へ、自然が人へ介入する、その様を表しているように思う。


 
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片岡 俊
KATAOKA Shun


1984年 京都府生まれ
受賞歴『KAWABA NEW-NATURE PHOTO AWARD 2014 グランプリ』
近年の個展に、2010年「Touch」id Gallery(京都)などがある。

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カワトウ「Scat of Muhammmad」
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会場の3つの壁面をギッシリと埋め尽くす写真。カワトウの芸風とこれまでの展示を見たことがあれば、9段×9列、9段×11列、9段×8列の200枚以上の写真作品に圧倒されることはないだろう。
 
今回同様、カワトウはこれまでにも10×12 inchサイズ(254×305mm)でプリントされた作品を約400枚ほど壁面を埋め尽くす展示をしてきた。その撮影対象は、住宅地や都市の隙間にある多様な「空き地」である。ほとんどが三方を建物で囲われた空き地からは、周辺の建物同士の関係性や歴史(または時間)が露わになることにより、かつてそこにあった何かを地面に意識し、またこれから存在するであろう何かを想像させるものである。空白や無などの「何も無い」ということは、「何もないということが有る」ということを感じさせるものである。そのようなことをこれまでの空き地シリーズでは感じとることができた。
 
さて、この空き地シリーズがある種、俯瞰したようなところからの視点で捉えられた都市全体の中の空白地帯であった一方で、今回展示した新シリーズは、よりプライベートな部分へ踏み込んだ作品である。「空白」「何もない」ことを象徴するような空き地シリーズからは相反する「充実」という言葉がマッチする「Scat of Muhammad」は、大阪市内の民家にある玄関前やガレージ、庭にあふれた有用/無用な品々を撮影したものだ。家の中や庭のどこにも行き場がなくなったものたちが、または整理整頓されていないものたちがそこら中に散らばりひっくり返っている。気にはなったとしても、まじまじと他人の玄関先を見続けることはないだろう。
 
この強烈なイメージに加え、タイトルや、ステイトメント文も作品同様に不思議なもので妙だ。タイトルの「Muhammad」は、その響きと、撮影された雰囲気がモロッコの旧市街の雰囲気に似てるところでつけたと言うのだが、一方の「Sact」はJAZZの用語で、「ダバダバ」や「ルルル」、「シュシュシュ」などといった「意味のない」音で即興的に歌うことを意味する。このことは、行き場を失いまた使用者を失ったものたちで形成された「意味のない」ものたちが繰り返し撮影されることを指しているようである。また、何の意味なのか全くわからない、だが気持ちの良いリズム感のステイトメント文は、カワトウの幼少期から近年までの実体験から抽出されたものである。このテキストも同様に、写真に写る玄関先やガレージにはその家の歴史があり、200軒以上分の歴史=時間が表されているとも言える。これら、タイトルの「Scat of Muhammad」や、長いダラダラとしたステイトメント文もこれら新シリーズを表す一つのツールとしてカワトウはさりげなく、コントロールし利用している。
 
なんと言っても、今回の展示で一番驚かされたのはプリントである。ノペっとした特徴的な色あいではあるものの、特に違和感なくその圧巻なイメージと空間だけをまじまじと見続ける。ふと何かズレがあるように感じたとき、これがType-C PrintやデジタルC Print、インクジェットプリントなどのいわゆる主流な写真プリント方法ではなく、どこにでもあるセブンイレブンのレーザープリントで出力されたということを知る。どうしても豪華であるとは感じられない乱雑する玄関先を、どこでも誰でも安価にプリントできるコンビニプリントが、その様を表しているように思う。表現にあわせプリント方法を選ぶ作家が多い中、カワトウも同様にコンビニプリントを選択する。だが、プリントが紫外線等で劣化する恐れがあり、簡単にデータさえあればコンビニでプリントアウトできる方法論であることを、マーケットはどう考えるのだろうか。
 
わざと、意味不明なタイトルやステイトメントで誤魔化し、コンビニプリントで出力したノペっとしたイメージのカワトウ作品。200枚以上という大量なプリントで壁面を埋め尽くすという、単純な迫力さだけではなく、空き地にしろ、本展の「Scat of Muhammad」にしろ、カワトウは都市にある「無用」であると感じさせられるものの中にある、重要で有用な何かを探り繋がろうと、写真に収めまた展示することで社会へ放出することを試みているように思う。

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カワトウ
Kawatou

1983年 宮崎県生まれ
プロフリーター
全くの無名、これといった受賞歴は無し。
強いて言うなら保育園のマラソン大会での3位獲得、それくらい。

2010年 大阪産業大学大学院卒業
2012年 写真表現大学本科修了
フリーのフォトタブロイド誌「Noiz」の発行や、インディーズ写真集レーベル「CITYRAT press」の立ち上げなど、大阪を拠点に活動。

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TriGRAPH #3時間⇄浸食 
片岡 俊「吸水」/カワトウ「Scat of Muhammmad」

2016年6月29日 (水)-7月10日(日)
13:00–19:30

Talk Event
7月10日(日) 19:00– 入場無料
片岡 俊×カワトウ×玉置慎輔(WaPoC)

企画・主催|galleryMain
共催・デザイン・展評|WaPoC

2016-08-01 | Posted in ExhibitionComments Closed 

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